2013.10.11

明日に向けて(752)水害の多発とナラ枯れ・・・温暖化によって森が悲鳴をあげている(1)

守田です。(20131011 08:30)

9月16日、おりからの台風によって、兵庫県・京都府・滋賀県にたくさんの雨が降り、洪水が発生しました。とくに京都市の桂川は福知山市の由良川からあふれ出た水の量が多く、多くの地域が浸水被害を受けました。
たくさんの農地も手痛い被害を受け、今、多くの地域で復旧作業が急がれています。僕もこの12日に、京都市京北町に住んでいて素敵な野菜たちを作っていながら、畑に被害の出た友人宅にお邪魔して、お手伝いをしてきます。
さて、こうした水害を発生させているものは何でしょうか。「ゲリラ豪雨」など、雨の降り方が極端になり、短時間でたくさんの雨が降るようになったことが指摘されています。
確かにそれらは間違った指摘でもないのですが、しかし僕が京丹後町や、亀岡市の人々に取材をしていると「雨はいつもの比べて極端に多い感じではなかった」という声も聞かれます。

それでは水害をより大規模にした要因は何だったのか。僕はその一つはナラ類が集団枯損する「ナラ枯れ現象」だったのではないかと思います。さらにマツ類が集団枯損する「マツ枯れ現象」もともにあり、総じて山の保水力が低減していたのではないかと思われます。
このことの確信を強めたのは、災害後に京都市の大文字山を訪れてのことでした。この山は銀閣寺の裏手にあり、もともとは社寺林であった山ですが、ここでも大量の土砂が発生し、銀閣寺参道の商店街の前を流れて、道路を埋め尽くしてしまいました。
商店街が損壊するほどの被害は出ませんでしたが、付近の側溝は大量の砂によって今も埋まっており、雨が降ると水は道路の上を川のように流れてしまう状態が続いています。
こうした水の流れを遡っていくと、大文字山の中腹の千人塚と言われる部分から下に向かって、大量のナラが枯死してしまった谷筋から大量の水が流れたことが分かります。

それではこのナラ類の木々を枯らす現象はどのようなものなのかというと、直接的にはカシノナガキクイムシ(カシナガ)という甲虫が木に穴をあけて潜入する中で起こっている被害です。
カシナガは、まずはオスが穴を掘り、メスを呼び寄せて中で繁殖を始めるのですが、そのときにメスが餌の「ナラ菌」を持ち込みます。このナラ菌が、木の「形成層」に感染し、死亡させてしまうのですが、その割合が多くなることで、木そのものを枯らしてしまいます。
ナラ菌とはキノコの仲間であり、カシナガに持ち込まれて木々の中で増えるのですが、それがカシナガの宿り木を枯らしてしまいます。このためカシナガは木を枯らすたびに、次々と宿り木変えていき、やがてその周辺一帯のナラ類を枯らしてしまうのです。
問題はなぜカシナガが宿り木を枯らしてしまうかです。このムシがもともとそのようなことを繰り返してきたのなら、ムシたちとて宿り木とともに絶滅してしまったはずなのです。宿り木を枯らしてしまうのは、その意味で不自然なことなのです。

原因は温暖化にあります。カシナガはもともとカシノキに住んでいる昆虫です。カシノキは枯らさずに上手に使うから、長年、安定的な繁殖が可能だったのです。なぜカシノキは上手に使えるのかと言うと木の構造が関係します。
多くの木は一番周りに樹皮があり、その内側に形成層という細胞分裂をしている個所があります。木の中で生物学的に生きているのはこの部分だけで、その内側は、サンゴ礁と同じように細胞学的には生きていないのですが、生物としての木を構造的に支えている部分です。
この形成層の内側は、辺材と言われる部分と一番中心にある心材という部分に分かれることが多い。木で生業をたてている人々は、「しろめ、あかめ」などとも呼びますが、この一番中心の心材の部分は、殺虫成分などもあり、ムシが利用しにくい個所です。
ところがカシノキはほとんど心材がなく、カシナガは木の奥まで進んでコロニーを作ってきたのです。ナラ菌もここに持ち込まれるため、形成層に感染することがない。ところがナラ類は心材が大きく、カシナガはその周りの辺材部分を利用しなくてはならないので、形成層が感染してしまうのです。

ではなぜカシナガがカシ帯からナラ帯に移ったのかと言うと、ここに温暖化が立ち現われてきます。ブナ科の常緑樹であるカシ類は、同じく落葉樹であるナラ帯に比べて、より西、ないし南に分布しています。
日本は列島全体に山々が広がっていますから、分布は位置の違いだけでなく高度の違いとしても現れてきます。100メートル上昇すると気温は0.6度下がりますが、このためナラ類は、カシ類よりも垂直分布で高い地帯に自生しているのです。
この山々に近年、激しい気温の変動が押し寄せています。平均気温が数度上がっているわけですが、かりに2.4度あがったとすると、垂直分布では300メートル分の変化があったことになります。その温度帯で活動していた昆虫は、300メートル上に上がれることになるのです。
ところが当たり前の話ですが、木々は気温が変わったからと言って、山の上の方に上がっていくことなどできません。そのためこれまでカシナガの活動領域でなかったナラ帯に、カシナガが活動を広げ始めることとなったのです。それで集団枯死が始まってしまいました。

これらから考えると、ナラ枯れ現象は温暖化による森林への影響の象徴である言えます。ではそれはどんな影響を山々に、森林に与えているのでしょうか。まずナラ類がたくさんのどんぐりをもたらす木々であるため、これを利用するたくさんの生物が危機に瀕しています。
例えば鱗翅類。チョウがガたちです。これらの多くが(400種という推定があります)、どんぐりに卵を産み付け、孵化に利用しているため、大変な打撃を受けてしまっている。さまざまなチョウ類、ガ類が絶滅の危機に立っています。
チョウやガが危機に立つと、すぐに窮地に陥るのは鳥たちです。なぜか。多くの鳥たちが雛の育成にチョウやガの幼虫を使っているからです。とくに春になると一斉に木々が芽吹きはじめ、それに伴って、幼虫の孵化が始まります。
次第に伸び始める落葉樹の薄く柔らかい葉が、イモムシたちには一番食べやすいからですが、次第に大きくなる幼虫は、やはり次第に大きくなる雛の成長にぴったりです。だから私たちの国には春にたくさんの鳥が世界中から集まってくるのです。たくさんのイモムシが春先に登場する私たちの国の山と森が、鳥にとって子育て天国だからです。

ところがどんぐりの激減で、チョウやガが産卵に失敗しているため、山も森も、イモムシが少なくなってしまっている。子育ての大ピンチです。どんぐりにはもともと豊作年と凶作年がありますが、とくに近年の凶作年では、子育てに失敗する鳥たちが激増しています。
これが分かるのは夏先になっても、鳥たちが求愛行動を行っているためです。春先に子育てに失敗した鳥たちが、再度、子育てに挑戦しようとしているために、春にしか聞かれない求愛の鳴き声が聞こえるのです。しかしこうしたことが繰り返されれば、やがて鳥たちの鳴き声そのものが消えてしまうでしょう。
どんぐりは他のたくさんの生物も利用しています。小動物ではネズミたちがそうですし、大きなものではシカやクマたちもたくさんのどんぐりを食べます。とくにクマはどんぐりが好物で、大量に食べて、冬の冬眠に備えます。
これらの動物たちも等しく打撃を受けてしまっています。その結果、餌が得られずに困窮したクマたちが、人里に下りてきてしまうことが頻発しています。クマは非常に知能が高く、自然界の中で最も恐ろしい人間にできるだけ近づかないようにしていますが、「背に腹は代えられず」、里に降りてきてしまうのです。

影響は生物界だけには及びません。カシナガの被害は、山々の動物たちの餌の現象に結果しているため、クマだけでなくシカやサル、イノシシなど、あらゆる動物が里に降りてきてしまい、農作物を襲う被害も激増しています。
このため山里の農地は、どこもシカよけのネットや囲いなどで周りを覆わなくてはならなくなりましたが、動物たちが食べるのは農作物だけではありません。草花なども大好物なので、人々が心のなごみのために家の周りに植えていた花々も食べられてしまっています。
最近ではこうした被害は山里にとどまらなくなりました。例えば、京都市では北部の北山のシカたちが次第に南下してきてしまい、東山の中の大文字山などに土着してしまいました。そのため京都市内の東山周辺でも、人家の周りのものが食べられてしまう被害が起こっています。
シカは増える一方で、市内を流れる鴨川の岸辺での目撃も多くなっています。僕自身も大文字山などで気配を感じることが多くなりました。とくに夕方になると、シカが間近に移動する音を聞くこともあります。最近は登山客からシカの目撃の報告が聞こえてきています。

こうした異変は動物界だけにもたらされているのではありません。森の喪失が、山の在り方そのものを大変動させつつあります。
ナラ枯れは、当初はナラ類の中でも大木の多いミズナラに集中し、とくに京都の芦生の森では、日本の中で最大と言われたたくさんのミズナラが次々と倒れていきました。カシナガに襲われたミズナラの枯死率は非常に高く、多くの地域でミズナラの林が忽然と消えてしまったほどでした。
これに続いて、カシナガはナラ類を猛烈に枯らし始めたのですが、そのためたくさんの木々が失なわれ、それまでこれらの木が根をはることでしっかりと保持されていた土壌の流失が始まりました。ここに雨が降ると、地中に吸い込まずに表面を流れ始めます。保水力が奪われだしたのです。
およそこうしたことが続く中で、今回の水害に顕著な大変化が起こってしまったと考えられます。その点で、水害は、温暖化で痛めつけられた山と森の悲鳴として私たちに迫っていると言えます。いや今や私たちはその声をこそ聴くべきなのです。

続く

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