Home > 「明日に向けて」
2016.08.10

明日に向けて(1286)原爆で亡くなった方たちの霊と共に戦争と被曝を止めたい(広島を訪れて2)

守田です。(20160810 11:30)

前回、広島市の済美学校の慰霊碑に刻まれた峠三吉の「墓標」という詩を紹介し、僕なりの解釈を披瀝しました。
その中でこの詩には子どもたちを守り切れなかった大人としての悔恨の思いも込められているように感じたことを述べました。

この記事を始めて読まれる方のため、ここでもう一度、この詩を記したサイトをご紹介しておきます。

峠三吉『原爆詩集』「墓標」 (広島文学館web)
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/TOGE/TogePoems.html#12

僕はこの詩を読んで、子どもの痛みに寄り添おうとし、子どもたちを救うことのできなかった自分を含んだ大人たちを厳しく問おうとする作者の思いを感じ、強く共感しました。
前回、そのことを書いたのですが、僕がそう思ったのにはわけがありました。広島に向かう直前の4日夜に、琵琶湖のほとりで行われていた子どもたちの保養キャンプに参加していたからです。

キャンプの参加者の子どもたちの多くは宮城県南部から来ていたのですが、その子どもたちに僕は、原発と放射能の恐ろしさと、命の守り方を教えました。
小学生たちが多くいましたが、~いつものことなのですが~僕はあえて大人にするのと対して変わらないレベルの話をしました。
注意するのは低学年の子どもたちが知らない単語を使わないようにすること、それは子どもたちへの礼儀だと僕は思っています。

そうしたら子どもたち、毎年のことではあるのだけれど、すごい集中力で食いついてきてくれました。一日中、琵琶湖で泳いだあとで疲れていたに違いないにも関わらずでした。
しかも講演後も小学校2年生と4年生の女の子たちから質問を浴びせかけられました。
スタッフとして参加している専門学校生と大学生のお姉ちゃんたちがフォローで参加してくれたこともあって、いつまでもやりとりが続きました。 (さらに…)

2016.08.09

明日に向けて(1285)殺された子どもたちの痛みを胸に宿らせて(広島を訪れて1)

守田です。(20160809 23:30)

今日は8月9日、長崎に原爆が投下されてから71年目の日です。
あらためてここで6日広島、9日長崎への原爆投下への怒りを表明します。

これまで繰り返し述べてきたことですが、原爆投下はまったくの戦争犯罪です。
アメリカはこの大犯罪を謝罪すべきです。今からでも被爆者への賠償を行うべきです。そして非人道で人類に対する犯罪そのものの核兵器を廃棄すべきです。
このことが実現されるまで、僕はこの声を上げ続けます。

今年の8月6日を僕は広島市で過ごしてきました。正確には前日、5日からの訪問でした。
朝早く宿泊地を発ち、広島電鉄の路面電車で平和記念公園へ。「原爆ドーム前」電停に着きました。
あたりではすでに集会が始まっていました。入り口付近に陣取っている人々を重装の機動隊がぐるりと包囲して異様な雰囲気。

僕は今日はできるだけ公園のあちこちを取材したいと思い、まずは式典会場に近づきました。そこには会場に入れないけれど、式典に近づこうとする沢山の方がおられました。
各地にテレビが設営されているのですがその前で式典に参加されている方も。テレビの式典の映像ではこういう姿が映らない。ああ、公園の中でいろいろな形で8時15分を迎えているのだなと思いました。
僕自身は原爆投下の時間=黙とうの時を原爆ドーム前で過ごそうと急いでバック。ドームの南側で投下時間を迎え、黙とうしました。ドーム周辺ではこの時間にあわせて多くの方がダイインを行っていました。

その後、公園の北側入り口付近で行われている広島の様々な市民運動の方たちの集会の場に合流しましたが、京都の見知った顔の方がたくさん参加していました。
そのまま一緒にデモに出発。広島の町を反戦反核反原発を訴えて、中部電力前まで歩きました。
その場ですでに行われていた中電前座り込みに合流。上関原発の建設中止や、伊方原発再稼働反対なども訴えながら一緒に1時間あまりの集会に参加しました。

さてその後にこの場で広島在住、ピースウォーク京都の活動を共にしたこともある友人と合流しました。。
彼に誘われながら、主に慰霊碑への訪問を中心とした市内周りを行いました。訪れたのは以下の地点です。 (さらに…)

2015.02.03

明日に向けて(1034)KENJIに(後藤健二さんに感謝を捧げます)

守田です(20150203 14:30)

後藤さんを忘れない。その思いを表現したくて認めた詩です。

*****

KENJIに

あなたの歩んだ道は
険しい道だった
あなたはあなたの道のりを
優しい笑みをたたえながら
歩みとおした

道にはたくさんの悲しみが
転がっていて
あなたはそれを
ひとつひとつ
慈しむように手にとり
ほらここに
見過ごしてはならない
事実があるのだと
人々に伝え続けた

あなたはその時
あなたの心の中が
怒りで充ちそうになると
語っていた
充ちそうになるけれども
充ちさせてはいけない
溢れさせてはいけない
手放すのだと語っていた

「目を閉じてじっと我慢する」
「怒ったら、どなったら終わり」
「裁きは神の領域」
「そう教えてくれたのは
アラブの兄弟たちだった」 (さらに…)

2015.02.02

明日に向けて(1033)血の通った言葉を!(後藤健二さんの思いを引き継ぎ中東の真実を広げよう)

守田です(20150202 21:30)

後藤さんが亡くなったことへの悲しみが続いています。多くの人が同じ思いだと思います。
今、大切なことは何でしょうか。後藤さんを忘れないことです。後藤さんの思いを引き継ぐことです。そのためにひたすら平和を願い、平和の創造のための努力を重ねていきましょう。戦争を止めるためにできることを行いましょう。

とくに中東での戦乱を止めるために私たちがなさなければならないことは、イラク戦争以来の10数年の流れの枠組みを押さえることです。
そう考えて思考を巡らせているときに素晴らしい文章、血の通った言葉にゆきあたったのでご紹介します。1月31日、後藤さんが亡くなる直前に発信されているものです。

イスラム国による日本人人質事件 今私たちができること、考えるべきこと
2015年1月31日 15時4分  伊藤和子 弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150131-00042568/

ぜひ全文をお読みいただきたいのですが、著者の伊藤さんは2004年4月の日本人人質事件で拘束された高遠菜穂子さん、今井紀明さん、郡山総一郎さんの代理人弁護士を務められた方です。
解放までのすべてのプロセスに立ち会われたそうで、その時の経験と今回の事態の大きな違いを書かれています。
一番大事なポイントはイラク戦争後の10年余り、イラクの人々、とくにスンニ派に対してあまりにひどい攻撃や虐殺が繰り返されたにもかかわらず、超大国や国連を含み、世界中が無視を決め込んできたことです。
その中で犠牲者サイドにおかれていたイラクのスンニ派の中から、「イスラム国」というモンスターが出てきてしまったのです。

にもかかわらず、今もなおこの10年余りのイラクの流れとこれへの日本の関わり、責任に対する社会的捉え返しがなされていません。マスコミの多くも主体的に触れようとしていません。
歴史的いきさつを無視したままに「テロに屈するな」という言葉が連呼され、他方では「自己責任論」などシリアやイラクの人々に寄り添おうとした後藤さんへのバッシングがずいぶん前からなされています。
この構造はイラク戦争直後から作られてきたものです。虚偽の言葉の羅列によって、真実を覆い隠すこと。自らの罪に頬かむりし、他者をあべこべに攻撃することです。
今もこの国の中で、10年前とまったく同じことが続けられている。この虚構こそが覆されなくてはなりません。

2004年の人質事件のときも、僕は京都のムスリムの友人と共に、3人の解放に向けたメッセージを発し続けました。拘束したグループへのアラビア語の手紙を書いて、ありとあらゆる手段で流しました。
手紙はヨルダンに滞在していた日本人女性に届き、彼女がイラクに向かうタクシードライバーの詰所にもっていってくれ、そこから現場へと運ばれたらしいことが確認されています。
タクシードライバーたちはそのとき、その女性に対して「誤爆だと言いいながら俺たちの家族がどれだけ殺されたと思っているんだ」「それに比べれば誘拐なんてもっとも人道的な手段じゃないか」と詰め寄ったと言う。
彼女はそれから3日間、詰所に通い詰め、黙って彼らの怒りを受け止め続けてくれました。そうするとドライバーたちの態度が和らいでいき、最後に「分かった。手紙を届けてやるよ」という方が現れたのだそうです。

このことはずいぶん後になって彼女から直接聞いたのですが、僕は手紙が渡っていた可能性が高いと知り、手紙をメールを介して次から次へとまわしてくれた人々や彼女の努力、受け取ってくれたドライバーたちの寛容さに深く感謝しつつも、一方でとても辛くも感じました。
あの時、拘束グループは自衛隊撤退を求めていました。僕たちは「あなたがたが捕らえた3名の日本人は、アメリカの占領と日本の軍隊の派遣に反対していた人々です」と書きました。
同時に「私たちも日本軍を引かせるために最大限の努力をします。アメリカ軍をひかせるためにも最大限の努力をします。どうか、3名の日本人を解放してください」とも書き添えました。
僕は実際にそのために行動しました。何度も平和を訴えてデモをしました。

でもイラクの人々への攻撃はちっとも止められなかった。アメリカ軍も自衛隊も長い間引き戻せなかった。努力したとはいえ、無念ながら約束は果たせませんでした。今でもそのことがとても辛いです。
小泉元首相らあやまった戦争を全面支持した首謀者が何らの責任も問われないこと、取らせることができないことに憤慨、悔しさ、責任を感じ続けています。
自らに再度、突きつけるために、当時、発信した手紙を掲載します。2004年4月のものです。

***

「日本人を誘拐したサラーヤ・アル=ムジャヒディーンのみなさんへ」

アッサラーム・アライクム・ワ・ラフマトゥッラーヒ・ワ・バラカートゥ
(あなたがたに平安と神様の慈悲、そして平安がありますように)

あなたがたが行った今回の日本人拘束事件により、イラクの人々の日本への怒りはとてもよく伝わりました。日本でも軍隊を戻せという運動が起こっています。
あなたがたが捕らえた3名の日本人は、アメリカの占領と日本の軍隊の派遣に反対していた人々です。彼らを解放するほうが、あなたがたへの日本での共感が高まります。
そして、それは軍隊を撤退させようという日本の世論の高まりにつながります。ですから3名を解放してください。

私たちも日本軍を引かせるために最大限の努力をします。
アメリカ軍をひかせるためにも最大限の努力をします。

どうか、3名の日本人を解放してください。

イラクの人々に神様の祝福がありますように。
平和を愛する私たちの願いです。

***

あのとき私たちが、日本の民衆が、世界の民衆が、イラクの人々への暴力を止められなかったこと、暴力への関与を止められなかったことが、今、大変な形で世界に、日本に、私たちに跳ね返ってきつつあります。
「イスラム国」というモンスターの出現が意味するのはそのことです。彼ら、彼女らが行っていることは「報復」なのだろうと思います。残虐な暴力への残虐な暴力を持っての仕返しです。
私たちは今こそ、この暴力の構造と連鎖をしっかりとつかみ、暴力の根を断つための努力を積み上げなくてはなりません。
10年後にもっと辛い思いで振り返りたくはない。いや10年後などと悠長なことは言っていられません。今、最大限の努力を積まなければ、僕自身の命をも含むもっとたくさんの命が無意味な殺し合いの中で失われることになるかもしれない。

そう思いつつ、2004年4月18日、前日17日に3人が解放された直後、同時に3人に「自己責任論」のバッシングが浴びせられていたときに僕が発信した詩をご紹介します。集会やデモの時などに配ったものです。
自分で読み返してみて、11年後の今にもあまりに直接に該当してしまうことがなんとも悔しいです。もうこんな悔恨を繰り返さないために、みんなで「血の通った言葉」を発していきましょう。ここに紹介した伊藤さんの文章のような真実を主体的に綴る文章です。
中東の真実を広げ、戦乱と苦難の中で平和と繁栄を取り戻そうとしている中東の人々と連帯しましょう。
正義と愛のため、人間への信頼を失わずに前に進みましょう。
*****

血の通った言葉を
言葉のまやかしが横行している
誰がくらしを壊したのかを問わない
「復興支援」
誰が一番人を殺したのかを問わない
「テロ対策」
戦争に加担している責任も
それをみすごしている責任も問わない
「自己責任」

思えばついこの間もそうだったのだ
「先制攻撃」の名の下に
侵略戦争が堂々と行われ
「大量破壊兵器摘発」の名の下に
大量の破壊が公然と行なわれた
「通常兵器」と銘打って
劣化ウラン=放射能さえ
大量にばら撒かれた

卑怯・卑劣というイメージを持った
「テロ」という言葉は
絶対にアメリカには使われず
イスラエルが行うテロだけは
「暗殺」に変えられてしまう
それでいて
アラブの人々の悲しく絶望的な抗いが
「自爆テロ」と騒ぎ立てられるのだ

これまでイラクの人々のことなど
真剣に考えてこなかった人たちが
「イラクのために汗を流す」と語り出し
本当にイラクの人々のために
勇気を示した人たちに対しては
悪罵が投げつけられる

そうしていわく
「テロに屈するな」
「今、引けばイラクは混乱する」
「国民に迷惑をかけるな」

全てがさかさまではないか!
国家的規模で
テロを行っているのはアメリカだ
イラクの占領が混乱をもたらし
だから人々が抗っているのだ
そして日本が米英に加担することが
わたしたちを傷つけているのだ
イラクのために献身的に働く人々に
多大な迷惑をかけているのだ

―――真実は
一時的に虚偽の言葉で覆い隠せても
けして書き換えることは出来ない
だからいつわりの言葉は
血の通った言葉の前には無力だ
そのことに確信を持ち
ひとりひとりが
本当のことを語り続けよう

誇りと尊厳をかけて
新たな歩みをはじめている
アラブの人々とともに

2004年4月18日
守田敏也

2014.09.03

明日に向けて(927)ガザを想う―「停戦」という名の戦争の継続の中で

守田です。(20140903 16:30)

パレスチナ・ガザに関する記事の続きです。
8月27日に50日間にも及んだ空襲、軍事侵攻が中止され「停戦」が成立しました。
たった今、ガザで軍事攻撃によって殺されつつある人々がいないことは、とりあえず私たちの心をほっとさせます。

しかし繰り返し述べてきたように、明らかな戦争犯罪を犯したイスラエル、それを支持したアメリカなどが裁かれない限り、何も問題は解決しません。
相変わらずイスラエルの非合法な占領と封鎖が続けられています。戦争犯罪人が大手をふるって歩いています。
このような状態では、いつなんどきイスラエルの攻撃が再開されるか分かりません。

私たちはその意味で、今なお、ガザは攻撃を受けている最中であり、違法・不当な殺人が続けられていることをこそしっかりと見据えるべきです。
今回の攻撃で殺されたパレスチナの人々は約2140人。経済的な被害総額は3700億円と言われており、復興には20年かかるとも言われています。
なのにイスラエルは何も罰せられず、未だに武装してガザを包囲しているのです。こんなひどいことがあるでしょうか。

こんな状態からガザの人々を救いだすこと、こんなに酷い殺人を本当に止めさせるために努力を継続していくことは、この大量殺人に立ち会わされてしまった私たちの責務です。
そのためにはこの50日に及ぶイスラエルの戦争犯罪、いやもう何十年も続けられている占領、そしてこの間の封鎖への批判を私たちは繰り返し行っていく必要があります。
同時に、僕は世界の暴力の総体を小さくしていく中でこそ、ガザの人々の真の救出の道もより開けると思うのです。だから今こそ私たちは、決意を新たに平和への歩みを強める必要があります。

そんな思いを込めて、今回はガザ攻撃の最中に書いた詩をご紹介したいと思います。まだ攻撃が継続されていた8月22日に綴ったものです。
しかしこの猛攻撃が一度止み、「停戦」という期間にある今だからこそ、つまり本当は戦争はまだ継続中だということを示したいからこそ、今、この詩をご紹介したいと思います。
ともにガザを想い、ともに平和を願い、歩んでいきましょう! (さらに…)

Next »