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2016.11.20

明日に向けて(1322)内部被ばくを無視したICRPと政府は被ばく被害を過小評価している(東京シンポ発言より)下

守田です(20161120 07:00)

10月29日に東京で「放射線被曝に備えるシンポジウム」に参加したときの発言の起こしの続きです。
今回は内部被ばくを無視したICRPの線量評価の誤りとそれに依拠して、「広島・長崎でも20ミリシーベルト以下には被爆者はいないのだから福島の人々は帰れ」と考えている日本政府の誤りを指摘しました。

なお企画の全体は以下から動画で観ることができます。

放射線被ばくに備えよう~東京電力福島第一原子力発電所の事故から学ぶ~
https://m.youtube.com/watch?v=h9Kfgyr4H3U

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「人々を被ばくから守るために私たちに何が問われているのか」
2016年10月29日 守田敏也

政府はこのこと(注:福島だけでなく多くの地域が年間1ミリシーベルトを上回っており本来政府の責任で人々を避難させなければならない地域であること)を知っていてるがゆえに「緊急事態宣言」を解除しないわけですが、この事態を前に国連の人権理事

会のアーナンド・グローバーさんが日本に来られて「健康である権利」が侵害されていると指摘してくださいました。
彼は「科学的な証拠に基づき、年間1ミリシーベルト未満に抑えるべきだ」「健康を享受する権利を守るという考え方からは、年間1ミリシーベルト以上の被ばくは許されない」と語りました。
さらに南相馬市では530人の方がこの問題で提訴されています。年間20ミリシーベルト以下のところに帰らさせるのはあまりにもひどいということでです。
東京新聞に記事が載りましたが、この中で「南相馬・避難勧奨地域の会」の末永伊津夫会長が次のように語られています。

「東京五輪に間に合わせたいのか、政府は避難区域の解除に躍起になっている。その基準とされるのが年 間20ミリシーベルトですが、無理があるのは明らかです。
もしもこれが既成事実となったら、将来、世界のどこで原発事故が起きても20ミリシーベルトまでは大丈夫となる。こんなむちゃを黙認するわけにはいかないのですよ」。

僕はこの方は世界の方のことまで見ていて、このような発言をされているので素晴らしいと思います。

実は福島県で原発問題をめぐる国際シンポジウムがあって、原子力推進派の科学者が世界から集まってきたことがあったそうです。
そのときに、おしどりマコさんと言う方が、ずっとある科学者の横に張り付いて、「本当のところ何が課題なのか教えて下さい」と食い下がったそうです。
そうしたら「これまでは『原発は安全なのだ』と言ってやってきたが福島でそれが崩れた。これからはそうではなくて『放射線被曝は対して怖くないんだ。少しぐらい放射能が出たって問題ないんだ』と言ってやっていかないと世界の原発が運用できない。だから福島の人々が放射線被ばくを受容することが必要なのだ」とおっしゃったそうです。

こんなことを許さないために、僕は日本でも「チェルノブイリ法」を作らなくてはいけないと思います。(注:この点について1時間34分50秒ぐらいから出している東日本被ばくマップとチェルノブイリ法の避難基準をご参照ください)
この法律はロシア、ベラルーシ、ウクライナで現在も通用している法律ですが、避難基準がまったく違うのです。基本的には年間1ミリシーベルト以上の地域全体に何らかの対策が建てられなければならないことになっています。
例えばセシウム137により汚染を基準として一平米あたり37000から185000㏃までの地域は「特恵的社会経済ステータス付居住地域」とされています。徹底的なモニタリングがされるとともに、住民に年間一月もの保養にいく権利などが付与されています。
この値を文科省が出したセシウム汚染マップに重ね合わせてみると、福島県だけでなく栃木県や群馬県など、ものすごく広い地域がここに分類されることが分かります。 (さらに…)

2016.11.19

明日に向けて(1321)「人々を被ばくから守るために私たちに何が問われているのか」(東京シンポ発言より)上

守田です(20161119 09:00)

10月29日に東京で「放射線被ばくに備えるシンポジウム」に参加しました。
「福島原発行動隊」が主催されたものです。以下に同企画のFacebookページをご紹介しておきます。

放射線被ばくに備えるシンポジウム
http://hr-hr.da-dk.fb.me/events/545783268961228/

パネラーの一人としての参加でしたが、僕にとって悩ましいものでした。メインスピーカーが元川内村総務課長さんで今は環境省福島環境再生事務所に勤務しておられる井出寿一さんだったからです。
事前に主催者側に送られた井出さんのパワーポイントをみると、前半では原発事故当時の川内村の混乱のもとでの避難の苦労が綴られており、後半で村の復興にむけた取り組みが紹介されていました。
その後半部分で井出さんは、年間20ミリシーベルト以下を帰還基準とする環境省の施策に従いつつ、なかなか帰って来ようとしない村の若者たちをいかに説得して戻させるかを課題とされていることを述べられていました。

「これは見過ごせない、反対しないわけにはいかない!」と即座に腹を括りました。多くの避難者の方たちの顔が浮かびました。
しかしパワポを全体としてよく見てみると、そこには突然、ふるさとを奪われた井出さんの悲しみ、そして復興にかけた思いが沸きあがってもきています。井出さんの誠実さもにじみ出ているように僕には感じられました。
井出さんもまた明らかに被害者の一人です。その井出さんが環境省のお役人として帰還を推し進める立場から発言されようとしている。

これに対してどう向い合っていくのか。何をこちら側からの主張の基軸にするのか。ずいぶんと頭を絞りました。
それで年間20ミリシーベルト以下という放射線値がどれほどの健康被害をもたらすのかという点はとりあえず横におき、もっぱら誰もが合意できる法律を軸にして話を組み立て、その上で可能な限りの僕の思いを届ける構成で発言を練り上げました。
今回はこうした準備のもとに当日行った発言をご紹介します。

ネット上に企画の全体の動画がアップされているのでご紹介します。
僕の発言は1時間26分20秒ぐらいからです。

放射線被ばくに備えよう~東京電力福島第一原子力発電所の事故から学ぶ~
https://m.youtube.com/watch?v=h9Kfgyr4H3U

これを見られて、あるいは僕の発言は手ぬるいと思われる方もおられるかもしれませんし、自分でもこれで良かったのかはっきりしていません。
でも今後、こういう機会をもっとたくさんもてたらと思いました。たくさんの方が放射線値高いところに戻っているし戻らされているからです。
さまざまな立場の方たち、とくに政府の安心安全論を信じて、放射線値の高いところに戻られている方たちに、本当に「何が問われているか」をお届けしたいです。

以下、発言の起こしを掲載します。(読みやすくするため多少文言を変えてあります) (さらに…)

2015.07.23

明日に向けて(1115)子どもたちと放射線からの身の守り方を学ぶ!(保養プロジェクトでお話します)

守田です。(20150723 23:30)

明日24日早朝京都を発ち、広島県尾道市2回(午前中と夕方から)、25日岡山県瀬戸内市、26日広島県福山市、27日岡山県和気町と講演小旅行をして来ます!

詳報をお知らせできていなかった27日の和気町の企画については和気町役場の主催となりました。総務課危機管理室が中心になってくれているそうです。
ここでは原発災害対策についてもお話します。午後2時半から和気町役場二階総合福祉センター教養室で開催です。
講演タイトルは「もしも原発事故がおきたらあなたはどうする?福島の今、内部被曝、再稼働、まとめて知ろう」です!

その他の企画について詳しくは「明日に向けて(1114)」をご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/f5e496613488e358dd9714172358abc8

少々行ったり来たりの旅になりますが、途中で余裕があれば被爆70年の夏を踏まえて広島市平和記念公園にも足を伸ばせてこれたらとも思っています。
みなさんと「戦争と原爆と原発と放射能被曝のつながり」について学び、語り合ってきます。
24日夕方の尾道市での企画に向けた記事を山陽日日新聞が掲載して下さったのでご紹介しておきます。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10205745128605775&set=a.4505891643698.2165302.1182740570&type=1&theater

さて今回の旅の中でも25日に、せとうち交流プロジェクトに参加します。子どもたち向けの保養プロジェクトです。
この夏、僕はこの他3か所でのプロジェクトに参加して、5回の講演を行います。
僕の参加スケジュールは以下の通りです。

7月25日午後 子どもと大人向けに1回講演
せとうち市へおいでんせぇ(せとうち交流プロジェクト)

8月4日午前・午後 子ども向けと大人向けにそれぞれ2回講演
夏休みショートステイ信楽 2015

8月5日午前・午後 子ども向けと大人向けにそれぞれ2回講演
びわこ*123キャンプ

8月5日夜 子ども向けに1回講演
げんきいっぱい琵琶湖キャンプ

それそれのキャンプで協力のお願いが呼びかけられているのでご紹介します。
なお子どもたちお話する場に一緒に参加するのは可能です。詳細はそれぞれの主催者にご連絡ください。

また「夏休みショートステイ信楽2015」はキャンセルがあって再度、募集中だそうです。
参加先を探されている方は、この情報からチェックしてください!

以下、瀬戸内プロジェクトからご紹介します。 (さらに…)

2015.03.13

明日に向けて(1054)東日本大震災と福島原発事故から4年、私たちは何をしなければいけないのか(上)

守田です。(20150313 11:00)

みなさま。一昨日は東日本大震災と福島原発事故から4年の日でした。
この災害で亡くなられたすべてのみなさま、ご遺族のみなさまに哀悼の意を表したいと思います。
また被災されたみなさま、今なお避難生活の中におられるみなさまにも心からのお見舞いを申し上げます。

事故から4年が経った今、私たちは何をしなければならないのでしょうか。
一つは沿岸部の広く長い地域で大津波の被害からの立ち直りを進めることです。
二つは福島第一原発事故による放射能漏れに対して放射線防護活動を強化することです。
三つに福島第一原発事故の真の収束を進め、並行して原発災害対策を進めることです。
四つに原発再稼働を許さず、原発ゼロの道をめざすことです。
五つにこれらすべてと連動しつつ、憲法9条と平和を守ることです。

大津波の被害に対してこれまで政府は非常に貧しい対応しかしてきていません。
例えば岩手県の大槌町を見た場合、やっと新たに整備された土地のどこに誰が住むのかの割り振りができたところですが、そこに家を建てるのにあと3年も待たねばなりません。大震災後、7年も経たなければ自宅を持てないのです。
他の地域も多かれ少なかれ似た状況だと思います。被害が甚大で、盛り土を含み、大変な作業が必要なのは分かりますが、それでも生産力が世界のトップクラスにある国で、なぜ7年間も待たねばならないのでしょうか。 (さらに…)

2015.02.25

明日に向けて(1045) チェルノブイリから学ぶこと(馬場朝子さん講演会より)下

守田です。(20150225 08:00)

馬場朝子さんの講演のノートテークの続きです。

***

チェルノブイリから学ぶこと(馬場朝子さん講演会より)下
2015年2月24日 向日市まこと幼稚園礼拝堂にて
主催:ミンナソラノシタ 後援:まこと幼稚園

生活面でどんなことがあったのかも取材しました。コロステンの人々が事故について知ったのは4月の末だったそうです。すぐに男たちがチェルノブイリに動員されていきました。それで何か大きいことが起こったと気がついたのだそうです。
5月1日にはメーデーがありました。旧ソ連社会では最大の祝日で、毎年みんなで大きなパレードを行っていました。
当時、ウクライナのトップの人々は事故のこと、汚染のことを知っていました。しかしメーデーを中止しませんでした。最も重要なメーデーを中止すると、一気に事故のことが世界中に知られてしまうからでした。このメーデーでのパレードで多くの人々が多量のヨウ素に被曝してしまいまいた。

5月中旬になってヨードを摂れ、ミルクを飲むな、自家菜園もののを食べるななどの指示が出されました。
5月20日になって子どもたちを町から遠く離れた地域に避難させることが発表されました。8月の末まででした。その頃のコロステンの空間線量は1時間あたり10μシーベルトでした。
当時のソビエト政府は放射線管理の基準線量を事故直後の1986年には年間100ミリシーベルトにおいており、それ以下は安全とされていました。87年は30ミリ、88年25ミリと下げられていき、それ以降は年間5ミリとされました。ソビエト全土の基準値でした。ちなみにご存知のように、今、福島では年間20ミリシーベルトが採用されています。

汚染地図はいっさい公表されませんでした。このため住民たちは汚染の実態をを把握できませんでした。
86年に前年にソ連共産党書記長となったゴルバチョフのもとでペレストロイカという改革がはじまりましたが、チェルノブイリ原発事故後にグラスノスチ=情報公開が行われだし、89年にはじめて汚染地図が公開されました。
このときコロステンの人たちは自分たちの町が汚染地帯にあることを知りびっくりしたのでした。

これ以降、大きな市民運動が全土でおこり大きな集会が催されました。原発作業員たちが中心になって起ちあがり、運動の核となりました。これに一般市民、被災地市民が合流し、とても大きな運動に発展しました。
1990年になってウクライナ政府が住民の保護の必要性を感じ、チェルノブイリ委員会を立ち上げました。12人の委員で構成されていました。
ここで問題になったのは被災者とは誰で、被災地とはどこかということでした。 (さらに…)

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