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2017.01.22

明日に向けて(1345)アメリカはあくどい投機の場に転落していた!(トランプ大統領就任に際して3)

守田です。(20170122 22:00)

3、ジェントルマンが投機屋に変わり社会がめちゃめちゃに!

トランプ大統領就任式が予定通り行われましたが、この日、全米でたくさんの人々が立ち上がり、トランプ新大統領の差別主義、排外主義と真っ向から闘う姿勢を示しました。
翌日の今日には反トランプデモが世界中に拡大!世界のあちこちで差別主義と排外主義への批判が響き渡りました。素晴らしいことです。
差別主義、排外主義にノーの声をあげているすべての人々への連帯を表明します。

その上で、ここではなぜオバマ政治の継続を訴え、ほとんどのマスコミも味方につけていたはずのヒラリー・クリントンが敗れ、トランプの「勝利」が実現してしまったのかの解き明かしを続けたいと思います。
そのために前回、宇沢先生のことをご紹介しましたが、今回は宇沢先生が新自由主義=市場原理主義の始祖、ミルトン・フリードマンについて繰り返し語った逸話をご紹介したいと思います。新自由主義の核心がよく分かるからです。
宇沢先生の『ヴィブレン』という本から直接引用します。

「1965年6月頃のことだったと記憶しているが、ある日、ミルトン・フリードマン教授がおくれて昼の食事の席にやってきた(その頃、経済学部の教授はファカルティ・クラブの決まったテーブルで一緒に食事をする慣わしだった)。
フリードマン教授は興奮して真赤になって、席に着くなり、話しはじめた。
その日の朝、フリードマン教授はシカゴのコンチネンタル・イリノイ銀行に行って、国際担当のデスクに会って、英ポンドを1万ポンド空売りしたいと申し込んだというのである。

当時IMFが機能していて、固定為替相場がとられていた。1ドル360円、1英ポンド2ドル80セントの時代である。それは、英ポンドの平価切り下げが間もなくおこなわれようとしているときだった。
IMF理事会の決議事項は必ず一週間か二週間前にはリークされてしまうのが慣例で、そのときも英ポンドの平価切り下げはすでに時間の問題となっていた。
ただ、その切り下げ率のみが不確定であって、経済学部の同僚たちは切り下げ率について、賭をしていたほどであった。実際にこのエピソードの一週間後に英ポンドが2ドル80セントから2ドル40セントに切り下げられることになった。

それはさておき、「英ポンドを一万ポンド空売りしたい」というフリードマン教授の申し出を受けて、コンチネンタル・イリノイ銀行のデスクはこういったというのである。
No, we don’t do that, because we are gentlemen.
「外貨の空売りというような投機的行動は紳士のすることではない」、と。

そこで、フリードマン教授は激怒していった。
「資本主義の世界では、もうけを得る機会のあるときにもうけるのが紳士だ。もうける機会があるのにもうけようとしないのは紳士とはいえない」
(『ヴェブレン』岩波書店 p180、181) (さらに…)

2016.08.23

明日に向けて(1292)ベンサムのパラドックスを問う(功利主義の世紀を越えるために-1)

守田です。(20160823 11:30)

8000ベクレル問題の解析の途中ですが、またちょっと唐突かもしれませんが、今回は思想問題を論じたいと思います。
というのはちょうど1年前の8月30日に、京都市・出町柳のかぜのねで以下のような企画でお話したのでした。

日本の社会活動のあり方を考えよう
-スコットランド啓蒙思想の対話性と現実性に学ぶ-
https://www.facebook.com/events/795032107261199/

当時、これに続けて思想問題を論じ続けようと思っていたのですが、目の前の課題に追われているうち早一年が経ってしまいました。
その間に、昨年9月に戦争法が強行可決され、本年7月の参院選では改憲勢力が議席の3分の2を獲得してしまいました。
憲法と平和が危機に立っています。

この状態を打開していくために多くの人々が努力を続けていますが、僕はそのための力の一部を思想問題に振り向けなければと思い続けてきました。
とくに重要なのはマルクス主義に代わる現代社会へのアクチュアルな批判の観点をみんなで紡ぎ出すことです。
もちろんかといって、新たな大理論の打ち立てを目指すわけではありません。そうではなくてなすべきこと、深めるべきことは、私たちが向かい合っている社会への批判的考察です。

これはこの間の安倍政権の暴走の中で新たな高揚を迎えてもいる市民運動を、これまでのように四分五裂に終わらせてしまうことなく、大きな連帯、多様な違いを認め合った団結へと発展させるための試みでもあります。
そのために私たちが格闘しているこの社会とは何なのかについての共通認識を作り出すことが肝要だと思うからです。もちろんここでの考察が目指しているのは、そのためのほんの一助に過ぎませんが重要な試みだと自負しています。

さて、ご承知のようにマルクス自身は、この試みを「資本主義批判」として成し遂げようとしました。その際、彼は「経済学批判」という手法を採り、のちに『資本論』にその考察をまとめていきました。
現にある社会を何もないところから分析するのではなく、この社会がいかに捉えられてきたのか、人々にいかに認識されたのかを問う道筋を採ったのでした。
この中で経済学徒から肯定的に捉えられている資本主義社会の批判的分析を紡ぎ出すのはマルクスの「戦略」でした。
こうしたマルクスの方法論に学びつつ、ここではしかし「経済学批判」ではなく「社会思想批判」という手法を採用したいと思います。 (さらに…)

2015.08.28

明日に向けて(1133)ダイアローグとリアリティ-スコットランド啓蒙思想に学ぶ-1

守田です。(20150828 15:00)

いささか唐突に思われるかもしれませんが、8月30日16時から京都市の出町柳「かぜのね」でスコットランド啓蒙思想ついて学び、日本の社会活動のあり方を考える企画で問題提起を行うことにしました。

日本の社会活動のあり方を考えよう
-スコットランド啓蒙思想の対話性と現実性に学ぶ-
https://www.facebook.com/events/795032107261199/

この企画に向けて、なぜ今、スコットランド啓蒙思想なのかを論じたいと思います。

1、スコットランド啓蒙思想に何を学ぶのか

スコットランド啓蒙思想とは、イギリス市民革命期の内戦ののちに、イングランドから暴力的に統合された側のスコットランドで次第に熟成されていった思想であり、「イギリス経験論」の中核をなすものです。
オランダ人医師マンデヴィル(1670~1733)の『蜂の寓話』などの示唆を契機とした、フランシス・ハチスン(1694~1746)ら「モラル・センス派」に始まり、デヴィット・ヒューム(1711~1776)やアダム・スミス(1723~1790)などへと発展していきました。
後年にはジェレミー・ベンサム(1748~1832)やジョン・スチュワート・ミル(1806~1873)などの功利主義へと収斂されていった一つの人間観と言えるものです

その主要な考え方は、キリスト教、とりわけカソリックのみならず、当時、勃興していたプロテスタントの中でも最も苛烈な教義に立っていたカルヴァン主義的な世界観に対抗した現世肯定主義や現実主義でした。
利己的な側面を含む人間のさまざまな欲求の追及に対する大らかな了解と、他方でこうした「不十分な」人間が、尊厳に満ちた豊かな社会を成り立たたせしめるに足る根拠としてのシンパシイ(共感)の重視でした。
人間の利己性を現にあるものとして容認しつつ、それをシンパシイをもとに対話的に統御していくものとして社会的正義の実現が目指されたのであり、そのための具体的な方策の考察が、最も価値化されました。 (さらに…)

2015.01.12

明日に向けて(1011)アメリカこそが過激主義者を生み出してきた元凶だ!(年頭に世界を俯瞰する-6)

守田です。(20150112 13:30)

フランス新聞社襲撃事件の背後を考察しています。今回は「明日に向けて(1010)フランス新聞社襲撃事件の背景にあるものは何か」の続きです。
アルカイーダというイスラム義勇兵たちが作りだしたネットワークが、ソ連の力を削ぎたかったアメリカの軍事支援のもとでできあがったことを述べてきましたが、それが反米に転換していったのは湾岸戦争の時でした。
中でも問題なのはアメリカがメッカとマディーナというイスラムの2大聖地のあるサウジアラビアに膨大な軍を送り込んだことでした。

湾岸戦争が勃発した時、アフガニスタンに集ってソ連軍と闘った多くの国際義勇兵たちは、目的を達して自国に帰っていました。ウサマ・ビン・ラディンもちょうど出身国であるサウジアラビアに戻っていました。
これらの人々は今度はアメリカのイスラムの大地での無謀な振る舞いに激怒し、やがて反アメリカネットワークを形成していきました。
かくして1990年代にアメリカ貿易センタービル爆破事件(911事件はもっとあと)など、さまざまな軍事攻撃が行われるようになりました。アメリカが仕込んだ「過激派」が、その暴力をアメリカに向け出したのでした。

このことに新自由主義のもとでの世界の混乱が大きく関連していきます。なぜかと言えば、イスラム教は利子による儲けを禁止しており、過度な儲け主義を戒めているからです。利子を禁ずる理由は神のものである時間を利用した儲けだからです。
実は中世キリスト教も利子を禁止していました。キリスト教ももともとは儲け主義を戒めているのです。しかし取引の活発化と共に現実には必要とされたため、「守銭奴の行う下劣な仕事」としてユダヤ人が携わっていたのでした。ユダヤ人が共同体と共同体の外におかれ、またがる位置にいたからでした。
その後、商業が発達し、資本主義が成熟する中で、西欧社会は利子を合法化していきましたが、イスラム世界では今も経典に反する行為として禁じているのです。

現実にはいろいろな抜け道があり、利子に変わる利潤の回し方があるのですが、それでもイスラム教が今なお「儲かればそれで良い」という価値観に否定的であることは間違いありません。
それだけに弱肉強食の新自由主義のもとで、貧富の格差が開けば開くだけ、イスラムの教えによる強欲な社会への批判が高まってくる構造を持っています。それがまさに新自由主義の時代のもとでイスラム教が独自の光を放っている所以です。
しかしだからイスラム教徒が「過激化」しているのでは断じてありません。これまで見てきたように、そのような地盤の上に、アメリカによってトレーニングされた武装集団が結合したとき、「過激派」が生まれてきたのだということです。 (さらに…)

2015.01.11

明日に向けて(1010)フランス新聞社襲撃事件の背景にあるものは何か-(年頭に世界を俯瞰する-5)

守田です。(20150111 22:30)

これまで「年頭に世界を俯瞰する」と題して、現代社会に大きな矛盾を作り出している新自由主義が、それ以前のケインズ主義にも共通した「儲かればそれで良い」とする価値観の上に、弱肉強食の資本主義を作り出してきたことを見てきました。
僕の意図では前回の内容に続いて、新自由主義のもとでさらにどのような矛盾が作られてきたのかを詳述しようと思っていましたが、そんな中で現代世界の矛盾を凝縮したような事件が起こってしまいました。フランスの新聞社襲撃事件です。
どうしてもこれには触れざるを得ないと考えて、少し歴史的な説明の順番を反転して、現代のこの問題をどう捉えるのかを論じてみたいと思います。

大前提として語らなければならないことは、今回シャルリー・エブドに対して行われた殺人襲撃は、断じて認めることのできないことだということです。
理由は無抵抗な人々を一方的に殺害したからです。僕は人の命を奪うこうしたあらゆる暴力的試みに絶対に反対です。
ただし「表現の自由」を侵害したからだということには保留したいものを感じます。現代世界のあり方の中で、ヨーロッパの新聞社がムスリムの人々を侮蔑するのも一つの暴力であるとも感じるからです。

この点について非常に共感できる記事がネット上に載っていたのでご紹介しておきます。国際政治学者の六辻彰二さんという方が書かれています。
フランスの新聞社襲撃事件から「表現の自由」の二面性を考える-サイード『イスラム報道』を読み返す
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mutsujishoji/20150109-00042123/

僕が今回、書かねばならないと思っているのは、現代世界を俯瞰した時に見えてくる「イスラム」と「イスラム過激派」の位置性です。
ちなみに「イスラム過激派」という言葉自身も、西洋的な一方的文脈のもとにある言葉であることに注意を促したいと思います。イスラムという思想の中の過激派というより、イスラムを信じる人の中に持ち込まれた暴力思想と言った方が僕は良いと思います。
その点もサイードの『イスラム報道』などに触れていただくと見えてくるものが大きいと思いますが、ともあれイスラムという信仰が「過激」なのではないということを強調したいです。現実にはキリスト教徒にも「過激派」はたくさんいるし、世界で一番過激で一番たくさん人を殺してきた国家はアメリカです。 (さらに…)

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