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2014.11.05

明日に向けて(965)『大学生活の迷い方-女子寮ドタバタ日記』を読んで(下)

守田です。(20141105 00:30)

『大学生活の迷い方』を読んでの続きをお送りします。

先に僕は本書には恩師、宇沢先生が説かれた教育の理想がちりばめていると書きましたが、ここで宇沢先生の教育論をご紹介したいと思います。岩波新書の名著、『日本の教育を考える』の中で宇沢先生は次のように述べられています。
「教育とは何か。一口でいってしまえば、一人一人の子どもがもっている多様な先天的、後天的資質をできるだけ生かし、その能力をできるだけ伸ばし、発展させ、実り多い幸福な人生をおくることができる一人の人間として成長を助けるのが教育だと言ってよいでしょう。」(同書p10)

そうです。教育の本分は、よく誤解されるように何かを教え込むことにあるのではないのです。
もともと人間には自らを成長させる本源的な力が備わっている。そして成長を熱烈に欲するのも人間の自然的欲求です。だから子どもは何でも真似たがる。真似て今の自分の以上の何かに近づくことに夢中になるのです。
教育はこの自然的欲求としての成長の手助けをすることにあるのであって、そのためには、成長を阻害しないための慎重な関わりも求められます。子どもが自ら考え、判断し、発展方向を見出していけるように配慮し、環境を整え、道筋をつけてあげる。そこに教育の本分がある。
もちろん、そのためにさまざまな知識を伝授することもあります。しかし知識の修得も、子どもが自ら主体的につかみとっていく方向性を確保できた時にもっとも効率よくなされていく。あくまで学ぶ主体は子ども自身だからです。

僕自身、わずか一時ですが、京都精華大学のアドミッション・オフィスに参加し、同大学に面接試験などで合格した受験生たちと大学入学まで対話していく「入学前教育」というプログラムを担うことで学生教育に携わったことがあります。
その時のメインテキストの一つが他ならぬ『日本の教育を考える』であり、実際に高校三年生を主体とした若者たちと対話しながら、僕自身もこの書の観点を自ら体験的に修得することができたのでしたが、その理想の生きたサンプルが僕には松蔭寮の日々であるように思えるのです。
もちろんこう書くと蒔田さんは必ず「褒めすぎだ」と言うに決まっているのですが、僕は教育の場とは本来、ドタバタしたものだと思うのです。若き当事者たちはいつも右往左往しており、周りで見つめる大人たちもハラハラドキドキであり続けるからです。
振り返れば誰しも分かるように、どうしたって若き日々には特有の辛さがあります。かつて高校生のときに恩師が「君たちには若さゆえの生理的憂悶があるのだ」と小林秀雄だかの一節を引きながら教えてくれたことがありましたが、それに寄り添う日々が予定調和的に進むはずがない。

だから生きた教育の場はいつも「想定外」の連続であり、奇想天外な事件に見舞われてばかりであり、奇人変人のオンパレードなのです。実は「普通の人」などどこにもおらず、誰もが「標準偏差」などから離れた奇人変人だからでもあります。自由な場が提供されれば当然にもその「本性」が出てくるのです。
松蔭寮に横溢してきた自由は、学生たちの「本性」を表に出すことへの自由でもありました。同時に自由には結果に責任をとることが伴うこともこの寮ははっきりと自覚してきた。だから寮で起こるさまざまなことを自ら決していく原則全員参加の寮会が重要視され、時には過酷なほどに時間をかけた討論が重ねられてきました。
本書にはそんな寮生たちの姿がたくさん反映しています。そして若者たちの成長を見守りながら、「非常事態」が発生するたびに登場する蒔田さんの姿も。
大人のみなさんにはぜひこれらの過程の中から、若者たちの自立心と成長への欲求を十二分に尊重し、なおかつ私たちがしっかりとした守り手として周りにいさえすれば、若者はこんなにも生き生きと育ち、輝いていける存在なのだということをこそシェアしていただきたいいと思います。 (さらに…)

2014.11.04

明日に向けて(964)『大学生活の迷い方-女子寮ドタバタ日記』を読んで(上)

守田です。(20141104 22:00)

今回はポーランドに関する考察を一度横において、表題に掲げた本の書評にトライしたいと思います。
岩波ジュニア新書から出ている親友の蒔田直子さんの編著書です。同志社大学松蔭寮を舞台としたもので、蒔田さんの他、たくさんの元寮生が思いを込めた文章を寄稿してくれています。
一刷がでたのが先月10月21日。ポーランドへの出国の直前に蒔田さんに届けてもらい、バックにつめて旅に出ましたが、旅の間は読むことができず帰ってきてから一気に読了しました。
またちょうど出版と重なるように松蔭寮が創設から50年を迎えたために行われた同志社大学での展示にも帰国直後に行ってくることができました。

とくにかく何より面白い本です。ノリのよいテンポに誘われて一気に読み進むことができます。そして終盤に蒔田さんの深みのある素晴らしい振り返りに接し、感動のうちに読み終えることができます。
このライブ感は、どうしたって言葉では表現しきれないので、ぜひぜひご一読をお勧めします。若い人にもそうでない人にも読んで欲しい。
僕が一番、読んで欲しいと思ったのは9月に亡くなられてしまった恩師、宇沢弘文先生でした。なぜならここには宇沢先生が教育の場がもつべき理想として常に語られていたことがいきいきと表現されているからです。
自由とは何か、生きるとは何か、友とは何か、教育とは何か、そしてまた大学とは何か。その他、今、何かの問いを持ち、思い悩んでいる方にはとくにお勧めしたいです。きっとあなたの今への何かの刺激が得られると思います。
編著者の蒔田直子さんについて少し書きたいと思います。僕が彼女と出会ったのは2001年9・11事件の後、アメリカによるアフガニスタンへの「報復」攻撃が始まった時でした。
「報復」と言ったって、9・11事件にはアフガンの人は誰も参加していなかったし、アメリカが即座に掲げた「オサマ・ビン・ラディン」犯行説も何の証拠も開示されない断定でした。
当時のアフガン・タリバン政権は、「オサマ・ビン・ラディンが犯人だと言うなら証拠を示してくれ。そうでなければ客人を差し出すわけにはいかない」と言っただけなのに、アメリカは傲然とアフガン攻撃を始めてしまいました。
これに胸を痛めた京都の女性たちを中心に、9月30日にピースウォークが行われ、1人1人の参加で成り立つ「ピースウォーク京都」が結成されました。もちろんその中心に蒔田さんがいました。 (さらに…)