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2016.11.23

明日に向けて(1325)週末はカノンをみて対談を聞いて三田医師の話とまた対談を聞いてホテヴィラに集まって下さい!

守田です(20161123 23:30)

この土日の企画のお知らせです。京都市内ばかりで恐縮ですが、ぜひ近県の方にもきていただきたいです。
26日土曜日は映画『小さき声のカノン』上演会in京都があります。日本キリスト教団伏見教会にてです。
京都市でおもに福島県飯舘村の方を対象に行ってきた「おこしやすキャンプ」実行委員の中澤さん、木口さんと守田で対談も行います。
なお映画上映は27日日曜日も行います。見逃している方はこの機会にぜひぜひご覧ください!

27日は二つの企画があります。
一つは僕も参加している京都「被爆2世3世の会」の企画。
「福島の被曝、そして広島・長崎の被爆の重ね合わさるもの」です。
午後1時30分~4時30分
ラボール京都4階第8会議室で開催です。阪急電車西院駅から歩いて5分強です。

京都「被爆2世3世の会」はこの間、被爆2世の健康調査を行ってきました。そこで見えてきたものと、福島の被曝の間に重なるものがあるのではないか?
この推論のもと、私たちは東京の小平市で3000人の子どもたちの被曝影響を診てこられて、自らも岡山に避難された三田茂医師にこの健康調査を読んでいただきました。
その上で三田医師が東京での医療実践からつかんできたものと、健康調査を読んで感じたものをお話いただきます。その後に三田さんと守田の対談で内容を深めていきます。
さまざまな意味でチャレンジングな企画で、僕としても思い入れが深いです。ぜひ多くのみなさん、とくに医療関係者の方々に来ていただきたいです。 (さらに…)

2016.11.20

明日に向けて(1322)内部被ばくを無視したICRPと政府は被ばく被害を過小評価している(東京シンポ発言より)下

守田です(20161120 07:00)

10月29日に東京で「放射線被曝に備えるシンポジウム」に参加したときの発言の起こしの続きです。
今回は内部被ばくを無視したICRPの線量評価の誤りとそれに依拠して、「広島・長崎でも20ミリシーベルト以下には被爆者はいないのだから福島の人々は帰れ」と考えている日本政府の誤りを指摘しました。

なお企画の全体は以下から動画で観ることができます。

放射線被ばくに備えよう~東京電力福島第一原子力発電所の事故から学ぶ~
https://m.youtube.com/watch?v=h9Kfgyr4H3U

*****

「人々を被ばくから守るために私たちに何が問われているのか」
2016年10月29日 守田敏也

政府はこのこと(注:福島だけでなく多くの地域が年間1ミリシーベルトを上回っており本来政府の責任で人々を避難させなければならない地域であること)を知っていてるがゆえに「緊急事態宣言」を解除しないわけですが、この事態を前に国連の人権理事

会のアーナンド・グローバーさんが日本に来られて「健康である権利」が侵害されていると指摘してくださいました。
彼は「科学的な証拠に基づき、年間1ミリシーベルト未満に抑えるべきだ」「健康を享受する権利を守るという考え方からは、年間1ミリシーベルト以上の被ばくは許されない」と語りました。
さらに南相馬市では530人の方がこの問題で提訴されています。年間20ミリシーベルト以下のところに帰らさせるのはあまりにもひどいということでです。
東京新聞に記事が載りましたが、この中で「南相馬・避難勧奨地域の会」の末永伊津夫会長が次のように語られています。

「東京五輪に間に合わせたいのか、政府は避難区域の解除に躍起になっている。その基準とされるのが年 間20ミリシーベルトですが、無理があるのは明らかです。
もしもこれが既成事実となったら、将来、世界のどこで原発事故が起きても20ミリシーベルトまでは大丈夫となる。こんなむちゃを黙認するわけにはいかないのですよ」。

僕はこの方は世界の方のことまで見ていて、このような発言をされているので素晴らしいと思います。

実は福島県で原発問題をめぐる国際シンポジウムがあって、原子力推進派の科学者が世界から集まってきたことがあったそうです。
そのときに、おしどりマコさんと言う方が、ずっとある科学者の横に張り付いて、「本当のところ何が課題なのか教えて下さい」と食い下がったそうです。
そうしたら「これまでは『原発は安全なのだ』と言ってやってきたが福島でそれが崩れた。これからはそうではなくて『放射線被曝は対して怖くないんだ。少しぐらい放射能が出たって問題ないんだ』と言ってやっていかないと世界の原発が運用できない。だから福島の人々が放射線被ばくを受容することが必要なのだ」とおっしゃったそうです。

こんなことを許さないために、僕は日本でも「チェルノブイリ法」を作らなくてはいけないと思います。(注:この点について1時間34分50秒ぐらいから出している東日本被ばくマップとチェルノブイリ法の避難基準をご参照ください)
この法律はロシア、ベラルーシ、ウクライナで現在も通用している法律ですが、避難基準がまったく違うのです。基本的には年間1ミリシーベルト以上の地域全体に何らかの対策が建てられなければならないことになっています。
例えばセシウム137により汚染を基準として一平米あたり37000から185000㏃までの地域は「特恵的社会経済ステータス付居住地域」とされています。徹底的なモニタリングがされるとともに、住民に年間一月もの保養にいく権利などが付与されています。
この値を文科省が出したセシウム汚染マップに重ね合わせてみると、福島県だけでなく栃木県や群馬県など、ものすごく広い地域がここに分類されることが分かります。 (さらに…)

2016.01.24

明日に向けて(1207)追悼!陳桃アマ!

守田です。(20160124 23:30)

悲しいご報告です。1月11日に台湾の旧日本軍性奴隷問題犠牲者の陳桃(小桃)さんがお亡くなりになられました。享年94歳でした。
僕は第一報を亡くなられた2時間ぐらいあとに台湾の友人から教えていただいたのですが、ちょうど台湾総統選の最中であり、政治利用を避けたいとの判断もあって、暫く公表を控えて欲しいともお願いされました。
その後、アマのサポートを続けてきた台北市婦女援助会から追悼文が出され、台湾のマスコミ報道にも載りました。それでも僕は原発ケーブル問題の分析をしなければならなかったこともあり、ご報告が遅くなってしまいました。申し訳ないです。

ともあれ今宵は、アマのご冥福を心の底からお祈りしたいと思います。
またアマの遺志をしっかりと受け継いで、今後も走り続ける決意をみなさまの前に明らかにしたいです。
アマに心の底から感謝しつつ、ただ合掌あるのみです。

アマの逝去について記された婦援会発行の「阿媽之友 電子報」日本語翻訳版を転載します。
ちなみに「小桃」アマというのは陳桃さんのニックネームです。他にも桃という字を使うアマがおられたため、小柄な陳桃さんが「小桃」アマと呼ばれ続けたのでした。 (さらに…)

2015.12.10

明日に向けて(1188)台湾のおばあさんたちを訪ねて3-性暴力問題に男性はいかに向かいあうべきか

守田です。(20151210 14:30)

前回の続きです。
ところで9年前に僕は男性としてこの性に潜む暴力性に向かいあい続けなければならないけれども、どこかで自信を持って言い切れない自分がいると書きました。
今はどうかと言うと、さすがに9年を重ねてきて、もう一つか二つ、前に進めたものを感じています。だからもちろん今は自信を持って言い切れるし、むしろ今はそこに男性自身の解放もあるとも確信しています。

この間、折に触れて語ってきましたが、軍隊「慰安婦」問題の背後にあるのは、旧日本軍の並外れた構造的虐待体質でした。
兵士たち、とくに二等兵、一等兵などの末端の兵士たちは、毎日、毎日、殴られるのが普通でした。訓練も過酷で命を落とすものがでることもしばしば。それも体罰などが続いた末のことでした。
「きさまたちは軍馬よりも安い。一銭五厘(召集令状=赤紙の代金)で補充が効く」などと言われ続けました。

その上、多くの戦線で酷い人殺しを強制されました。度胸試しだといって捕虜となった人々を刺殺させられたり、さまざまな虐殺を命令されました。
このため、日本軍兵士たちは一度野に放つと、とんでもない狂暴性を発揮するようになりました。とくに民家を見つけると略奪に走り、男性を殺し、女性を強姦しました。強姦してから殺すこともしばしばでした。こうした体質が特に南京で猛爆発しました。
兵士たちの暴走に手を焼いた軍部は、南京虐殺の捉え返しから「慰安所」という性奴隷施設を創設しました。軍部が特に問題にしたのはレイプそのものよりも兵士が性病にかかることでした。かくして軍は処女の女性・・・幼い少女たちを狩り集めたのでした。

繰り返しますがこのように旧日本軍性奴隷問題の背後には、日本軍の構造的虐待体質が横たわっていました。だから日本軍下級兵士たちの中には、本来、上官や軍上層部、政府中枢に向けるべき憤怒のエネルギーが堆積していたのでした。
しかし兵士たちは軍部によってそれを女性たちに向けさせられ、性暴力を振るってしまいました。あるいはアジアの多くの人々を虐殺する形で晴らさせられてしまいました。だからそれはますます自らへの虐待を強める力へと転化していったのでした。
かくして兵士たちは、太平洋戦争の中でまったく勝つ展望のない過酷で不条理な戦を強いられました。弾薬も足りず、それどころか食糧すら満足に供給されませんでした。太平洋戦線で死亡した兵士の実に半数以上が餓死してしまったのでした。 (さらに…)

2015.12.09

明日に向けて(1187)台湾のおばあさんたちを訪ねて-2・・・陳蓮花アマのこと

守田です。(20151209 19:00)

もう一月前になってしまいましたが、台湾での旧日本軍性奴隷問題被害者のおばあさんたちの訪問記の続きを書きます。
今回、ピントンの小桃アマの次に訪ねたのは台北在住の陳蓮花(チンレンファ)アマでした。

レンファアマと私たち京都グループは深い縁で結ばれています。それはアマが初めて人まで被害体験を証言したのが私たちが呼んだ京都での証言集会の時だったからです。
アマは来日するまではまだ初めての証言をする決意ができていなかった。しかし京都に来て、私たちと心を通わせる中で「私も話す」と起ちあがってくれたのでした。
この時のことを2006年に僕があるところに投稿した文章からご紹介したいと思います。アマが仏教大学で講演した時のもとです。ちなみにこのときアマはまだ陳蓮(チンホア)という仮名を使っていました。 (さらに…)

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