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2017.01.11

明日に向けて(1339)本年を脱「原発・被曝・戦争」の道を切り拓く年に!

守田です(20170111 21:00)

みなさま
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

年末に昨年を振り返ってみて、講演回数が約110回だったことが分かりました。
各地からお声掛けいただきましたが、中でもコープ自然派さんからは16回も呼んでいただけました。
どうもありがとうございました。

今年もあちこちを駆けます。
さっそく1月7,8日に、コープ自然派のみなさんと伊方原発の視察ツアーに行ってきました。
コープ自然派脱原発ネットワーク主催のツアーで、地元で長い間反対運動を貫いてきた方たちともガッチリと結合した企画でした。
またコープ自然派が提携している生産者さんのところも訪れることができて、とても盛りだくさんでした。

今回、現地までいってみてあらためて伊方原発の危険性を痛感しました。
これまでも加圧水型原発としての同原発の構造的危険性をしっかりとおさえてきたつもりでしたが、現地に立って、リアス式の細い岬の根元に立地しているこの原発が、あまりに事故時に避難の余裕がないものであることが実感されました。
とくに多くの家々が、海に続く崖状の地形にはりつくようにして建てられているのが印象的でした。

同時にこの地域はこの崖にまで段々畑を作り、みかんをはじめたくさんの柑橘類を栽培しているとても豊かなところです。
日本の今後にとって、すでに電力は十分すぎるほど余っているし、むしろ使い過ぎなのですから、この農の営みこそ優先的に手当をしていくべきだとも強く感じました。
そのためにも危険で、使用済み核燃料の処理に何万年もかかる原発など完全に止めてしまって、その予算をふんだんに農の営みにあてるべきだとも思いました。

伊方原発については、また稿をあらためて特集していきますが、ともあれ日本の原発は、その一つ一つが安全性を無視し、地域の特性を潰し、理不尽きわまりないかたちで建設されています。
今年もその一つ一つに迫り、矛盾をリアルに明らかにし続けることから、原発の再稼働を止め、廃炉に追いやっていくムーブメントに貢献したいと思います。 (さらに…)

2016.01.24

明日に向けて(1207)追悼!陳桃アマ!

守田です。(20160124 23:30)

悲しいご報告です。1月11日に台湾の旧日本軍性奴隷問題犠牲者の陳桃(小桃)さんがお亡くなりになられました。享年94歳でした。
僕は第一報を亡くなられた2時間ぐらいあとに台湾の友人から教えていただいたのですが、ちょうど台湾総統選の最中であり、政治利用を避けたいとの判断もあって、暫く公表を控えて欲しいともお願いされました。
その後、アマのサポートを続けてきた台北市婦女援助会から追悼文が出され、台湾のマスコミ報道にも載りました。それでも僕は原発ケーブル問題の分析をしなければならなかったこともあり、ご報告が遅くなってしまいました。申し訳ないです。

ともあれ今宵は、アマのご冥福を心の底からお祈りしたいと思います。
またアマの遺志をしっかりと受け継いで、今後も走り続ける決意をみなさまの前に明らかにしたいです。
アマに心の底から感謝しつつ、ただ合掌あるのみです。

アマの逝去について記された婦援会発行の「阿媽之友 電子報」日本語翻訳版を転載します。
ちなみに「小桃」アマというのは陳桃さんのニックネームです。他にも桃という字を使うアマがおられたため、小柄な陳桃さんが「小桃」アマと呼ばれ続けたのでした。 (さらに…)

2015.12.10

明日に向けて(1188)台湾のおばあさんたちを訪ねて3-性暴力問題に男性はいかに向かいあうべきか

守田です。(20151210 14:30)

前回の続きです。
ところで9年前に僕は男性としてこの性に潜む暴力性に向かいあい続けなければならないけれども、どこかで自信を持って言い切れない自分がいると書きました。
今はどうかと言うと、さすがに9年を重ねてきて、もう一つか二つ、前に進めたものを感じています。だからもちろん今は自信を持って言い切れるし、むしろ今はそこに男性自身の解放もあるとも確信しています。

この間、折に触れて語ってきましたが、軍隊「慰安婦」問題の背後にあるのは、旧日本軍の並外れた構造的虐待体質でした。
兵士たち、とくに二等兵、一等兵などの末端の兵士たちは、毎日、毎日、殴られるのが普通でした。訓練も過酷で命を落とすものがでることもしばしば。それも体罰などが続いた末のことでした。
「きさまたちは軍馬よりも安い。一銭五厘(召集令状=赤紙の代金)で補充が効く」などと言われ続けました。

その上、多くの戦線で酷い人殺しを強制されました。度胸試しだといって捕虜となった人々を刺殺させられたり、さまざまな虐殺を命令されました。
このため、日本軍兵士たちは一度野に放つと、とんでもない狂暴性を発揮するようになりました。とくに民家を見つけると略奪に走り、男性を殺し、女性を強姦しました。強姦してから殺すこともしばしばでした。こうした体質が特に南京で猛爆発しました。
兵士たちの暴走に手を焼いた軍部は、南京虐殺の捉え返しから「慰安所」という性奴隷施設を創設しました。軍部が特に問題にしたのはレイプそのものよりも兵士が性病にかかることでした。かくして軍は処女の女性・・・幼い少女たちを狩り集めたのでした。

繰り返しますがこのように旧日本軍性奴隷問題の背後には、日本軍の構造的虐待体質が横たわっていました。だから日本軍下級兵士たちの中には、本来、上官や軍上層部、政府中枢に向けるべき憤怒のエネルギーが堆積していたのでした。
しかし兵士たちは軍部によってそれを女性たちに向けさせられ、性暴力を振るってしまいました。あるいはアジアの多くの人々を虐殺する形で晴らさせられてしまいました。だからそれはますます自らへの虐待を強める力へと転化していったのでした。
かくして兵士たちは、太平洋戦争の中でまったく勝つ展望のない過酷で不条理な戦を強いられました。弾薬も足りず、それどころか食糧すら満足に供給されませんでした。太平洋戦線で死亡した兵士の実に半数以上が餓死してしまったのでした。 (さらに…)

2015.12.09

明日に向けて(1187)台湾のおばあさんたちを訪ねて-2・・・陳蓮花アマのこと

守田です。(20151209 19:00)

もう一月前になってしまいましたが、台湾での旧日本軍性奴隷問題被害者のおばあさんたちの訪問記の続きを書きます。
今回、ピントンの小桃アマの次に訪ねたのは台北在住の陳蓮花(チンレンファ)アマでした。

レンファアマと私たち京都グループは深い縁で結ばれています。それはアマが初めて人まで被害体験を証言したのが私たちが呼んだ京都での証言集会の時だったからです。
アマは来日するまではまだ初めての証言をする決意ができていなかった。しかし京都に来て、私たちと心を通わせる中で「私も話す」と起ちあがってくれたのでした。
この時のことを2006年に僕があるところに投稿した文章からご紹介したいと思います。アマが仏教大学で講演した時のもとです。ちなみにこのときアマはまだ陳蓮(チンホア)という仮名を使っていました。 (さらに…)

2015.12.02

明日に向けて(1182)台湾のおばあさんたちを訪ねて-1

守田です。(20151202 15:00)

すでにお知らせしたように、11月13日から19日にかけて台湾を訪問してきました。旧日本軍性奴隷問題被害者のおばあさんたちを訪ね、同時に台湾の反核運動に参加してくるのが目的でした。
このうちのおばあさんたちへの訪問についてご報告したいと思います。

今回は2人のおばあさんを訪ねました。台湾ではカムアウトしたおばあさんたちのうち、今も生き残っておられるのはたったの4人になってしまいましたから、そのうちのお二方への訪問です。
初めに訪ねたのは陳桃アマ。小桃アマと呼ばれているアマです。高雄よりももっと南の屏東(ピントン)に住んでいて、長く青果市場でヤシの実を売って生計を立ててこられました。
今は随分と身体が弱くなり、施設に入所していてそこから病院に入られていました。

台北に到着してアマたちを支え続けてきた呉慧玲(ウーホエリンさん)に会うと、アマはだいぶ調子が悪いと言う。「秀妹(シュウメイ)アマの最期の時みたい」とも。
呉秀妹アマは、台湾のおばあさんたちの中でも、特に私たち夫妻が仲よくしていただいたおばあさんで、2012年秋に亡くなられた方です。
ドキッとしました。悲しい思いになりました。覚悟を固めてアマのもとに行くことにしました。 (さらに…)

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