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2015.09.24

明日に向けて(1156)戦争を阻む平和力―下

守田です。(20150924 08:30)

9月22日に行われた、No war & Peace Music Fes in 左京での僕の発言の起こしの後半をお送りします。

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そんなことを別の機会で感じることがありました。みなさん、「戦争は良くないことだ」というのはまだ世界では常識ではないです。
日本では例えば安倍さんでも「戦争法案という言い方は誤解だ。これは戦争を遠ざけるための法案なのだ」と言いますよね。もちろん、これは嘘です。嘘だけれども「今ぞ、お国のために、100万若人よ起て!」とは言えないわけです。

ところがですねえ、僕はピースウォーク京都と言うグループでアメリカの戦争に反対するウォークをずいぶんやってきたのですけれども、ちょうどイラクにアメリカが戦争を仕掛けようとしているときに、中国人の友だちが参加してくれたのです。
日本に来て働いていた方ですが、彼の名前をよく覚えているのです。陽増軍君(苗字は仮名)。軍を増やすという名前です。すごく印象的な名だったのですが、僕は勝手に文化大革命の時などの生まれなのかなとか思っていました。
その陽君はとても柔和な方で、優しい男性で、いつもいつもニコニコと笑っているのですね。その彼が「僕はアメリカがイラクに攻め込むことに反対です。一緒にデモに出たいです」というのです。それで実際に参加してくれたのです。
一緒に歩いて、デモが終わって、喫茶店に入って話をしました。その時に誰かが「ところで陽君のお父さんは何をしている人なの」と聞いたら、陽君、嬉しそうに「父も中国で日夜平和のために働いています」と言うのです。
みんなが「えー、何をやってるの、教えて」と言ったら、陽君、本当に誇らしげに胸を張って「父は人民解放軍で日夜ミサイルを作っています」と言うのです。それが「平和のため」なのですね。 (さらに…)

2015.09.11

明日に向けて(1148)放射線被曝、ヨーロッパ・トルコ訪問、長野・群馬・東京訪問等についてお話します!

守田です。(20150911 21:00)

今日は911事件の日ですね。2001年9月11日のツインタワービル襲撃、あの後アメリカを中心としたたくさんの戦争や暴力が起こりました。最も大きなものはアフガニスタン侵略戦争とイラク侵略戦争でした。
これらのむごい戦争の中でアフガンもイラクも激しく傷つき、とくにイラクは社会秩序がガタガタになってしまいました。さまざまな暴力、殺人が頻発しました。その中でIS新たな勢力として出現してきて社会の大混乱が深まるばかりです。
今、安倍内閣が進めようとしている集団的自衛権の行使容認は、このセンテンスの中から出てきたことです。だからアメリカのアーミテージによって素案が作られたのです。

その点でこれらの流れは2001年9月11日から始まっているとも言えます。私たちはその点をおさえ、アフガン戦争やイラク戦争とは何だったのかを考えながら前に進む必要があります。そのことと福島原発事故とは何だったのかを重ね合わせることが大事です。
「覚醒」を進めなくてはなりません。嘘をつくことは安倍首相の専売特許ではありません。自民党はながらくアメリカの非道な戦争を支持してきたのです。そのことでたくさんの経済的恩恵を受けてきたのです。
そのアメリカが押し付けてきた原発を、自然エネルギーが宝庫のこの国で強引に広げてきたのも自民党。これらの歴史を根本から問い直すべき時が今です。
この夏、僕は「戦争と原爆と原発と放射能被曝の太い関係を捉え返す」ことを軸に講演活動を行ってきましたが、9月にも幾つかの場でお話を行います。すでに紹介したものもありますが、再度、講演予定をお知らせしておきます。 (さらに…)

2015.09.03

明日に向けて(1141)原発災害対策、ヨーロッパ・トルコ訪問報告、長野・群馬・東京訪問報告、原爆と内部被曝のお話などを行います!

守田です。(20150903 16:30)

講演のお知らせです。

9月6日兵庫県篠山市
クローズドな会合になりますが、9月6日午前中に兵庫県篠山市の消防団研修会で原子力災害対策についてお話します。
今回は特に消防団の方たちが、放射能が降る中で避難誘導をしなけばならなったときに、どのようなことに留意する必要があるのかなどについてもお話します。
昨年は500名集まってくださいましたが、今回は会場の都合で300名の参加だそうです。実践の場で役立つ知恵をお伝えしてきます。
9月12日滋賀県朽木村
今年も山水人でお話します。夜の部の参加で、今回も広海ロクローさんと対談します。
9月13日京都市
下京区で「明日に向けて ドイツ・トルコ・ベラルーシから学ぶ日本の現状と課題」というタイトルでお話します。
学んだことはたくさんあるのですが、今回は主にチェルノブイリをはさんだベラルーシとウクライナの歴史の問題と、トルコへの原発輸出問題の二つを軸にお話しようと思います。 (さらに…)

2015.01.18

明日に向けて(1017)排外主義といかに立ち向かうのか(ポーランド訪問で学んだこと-4)

守田です。(20150118 12:30)

前回、アウシュヴィッツ訪問でNHKBSドキュメント「ヒトラー・チルドレン」で描かれた場に立ち、イスラエルの若者たちの見学風景に遭遇したことを述べました。
その時の日本人ガイドの中谷剛さんのお話を紹介しましたが、現場の聞き取りでのことなので、中谷さんの真意を十分に伝えらていないかも知れません。
中谷さんのお話に興味を持たれた方は、ぜひ以下の書をご覧になってください。僕が描けていないアウシュヴィッツの全体像が書かれています。今、このときにこそ読んでいただきたい本です。

新訂増補版 アウシュヴィッツ博物館案内
http://www.gaifu.co.jp/books/ISBN978-4-7736-3607-9.html

その上で、もう少し、中谷さんから教わったことの中で強い印象に残ったことを記したいと思います。
アウシュヴィッツにはこのところ、年々、来館者が増えているのだそうです。その半分が若者たちです。実際、僕が現場に立った時も、とても若者が多いのに驚きました。各国から修学旅行などで来ている若者も多いのだろうと感じました。
このことについて中谷さんは印象的なことを語られました。

「こうやって来館者が増えているのは、ヨーロッパがにわかに目覚めたからではありません。むしろ逆です。今、あちこちで排外主義が強まっているのです。このような状態をなんとかしようと思っている人たちが、若者にアウシュヴィッツを見せなくてはいけないとせっせと送り込んでくるのです」
何とも深く感銘を受けました。もちろん、排外主義が強まっていることに対してではありません。それに抗する人たちの努力もまた高まっているのです。そしてその思いを中谷さんはしっかりと受け取って、丁寧にガイドされているのです。
それはガイドの方たちの共通の思いなのでしょう。途中で何度も各国の見学者たちが狭い収容棟の中ですれ違い、ガイドの方たちが言葉を交わしあうのですが、そこにはなんとも言えないようなガイド仲間の間の連帯感が漂っているように思えました。「ここに今まさに排外主義に立ち向かっている人々がいる!」と胸がジーンとなりました。 (さらに…)

2015.01.16

明日に向けて(1015)「ヒトラー・チルドレン」とイスラエル(ポーランド訪問で学んだこと-3)

守田です。(20150116 23:30)

2014年12月17日に「京都被爆2世3世の会」の拡大総会での話を、同会の平信行さんが起こしてくださったものに手を入れた報告記事の3回目をお送りします。
今回は「ヒトラー・チルドレン」=ナチス高官の子どもたち孫たちのナチスの犯罪の捉え返しとイスラエルの若者たちとの対話、そしてその先にあるものについて述べます。

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ポーランド訪問で学んだこと-3
-ユダヤ人をめぐる歴史の深層を踏まえつつ、チェルノブイリ原発事故による被ばくの現実を捉えなおす
2014年12月17日学習会 守田敏也

■ヒトラーチルドレンと現代の問題
前回の最後に、アウシュヴィッツ博物館に多くの若者たちが訪れている中で、イスラエルの若者たちが国旗を掲げて歩いている場面に出くわしたことを書きました。
その若者たちが例えばドイツの若者たちとすれ違ったりする。「こういうことがとても大事なのです」とガイドの中谷さんがおっしゃり、「なるほど」と行き違う両国の若者たちを感慨深く見ていたのですが、その後、何ともショッキングな場面に出くわすこととなりました。
というのは、僕はこの博物館を訪れる前に、日本でNHK・BS世界のドキュメンタリー「ヒトラー・チルドレン~ナチスの罪を背負って」という録画してあった番組を観てきていました。(2013年8月15日放映)

その番組はナチスの重要人物の息子や娘、親族などに当たる5人のドイツ人を取材したものでした。監督は親族をホロコーストで亡くしたユダヤ人。過去を背負いながら生きる人々の苦悩する姿を描いたイスラエルとドイツの共同制作番組でした。
この中のハイライトとして、アウシュヴィッツ収容所の初代所長ルドルフ・ヘスの孫ライネル・ヘスさんのシーンがありました。ドイツの子どもたちは小さい時に学校単位でアウシュヴィッツを訪れるそうですが、ライネル・ヘスさんは所長の孫ということで、長くアウシュヴィッツ側に訪問を拒まれていました。
このためこの番組の中で初めて訪問することになりました。ホロコースト生存者の孫で、ライネル・ヘスさんと同年代のユダヤ人ジャーナリストが同行しました。

アウシュヴィッツ所長のルドルフ・ヘスはこの敷地内に住んでいたのでした。家族と一緒でした。子育てもしていて、実際にライネル・ヘスさんのお父さんもそこで育ちました。その家の中に入って外を見ると、すぐ近くに見える壁がもう収容所の壁でした。
そしてその先にガス室と焼却場があったのでした。家からは巧妙に見えないようになっていましたが、ライネル・ヘスさんは父が祖母から庭にある作物や果物を採ったらきれいに洗いなさいと強く言われていたことを思いだしました。
「君のお父さんは死体を焼いた灰や匂いの中で育ったのだね」とユダヤ人ジャーナリストが語りかけました。ライネル・ヘスさんは「つらい」とだけつぶやきました。 (さらに…)

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